昭和46年11月27日 朝の御理解



  御理解 第78節
  「神の機感にかのうた氏子が少ない。身代と人間と達者とが揃うて三代続いたら家柄人筋となって、これが神の機感にかのうたのじゃ。神の機感にかなわぬと、身代もあり力もあるが、まめにない。まめで賢うても身代をみたす(尽くす)ことがあり、また大切な者が死んで、身代を残して子孫を切らしてしまう。神のおかげを知らぬから、互い違いになって来る。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代も出来、一年まさり代まさりのおかげを受ける事が出来るぞ。」

 神の機感にかのう、神の機感にかなうと云う事はどう云う事だろうか。まぁ実際は、今日の御理解を頂いて見ますと、三代続いて見ないと分からないと云うかね。お道の信心をさせて頂く様になって、しかもそれが三代続いて見ければ分からない。しかも三代続いて出てくる答えが、ね、人間と身代と達者とが、足ろうておらなければ、神の機感にかのうたとこう云う事が言えないのですね。
 所謂家繁盛、子孫繁盛と云う事を言われるが、確かに生神金光大神は家繁盛子孫繁盛の道を教えると仰るから、その道を体得させてもろうて、家繁盛、子孫繁盛のおかげを頂きたいものであります。だから実際がそこに答えが三代続いて出てこなければね、分からんのですけれど、それならまぁ例えばなら此処に、堤さん久富さんて、総代さん方二人前におられるから二人の例をとりますと、所謂その堤さんにして所で、久富さんにした所で、初代信心の初代である所の、堤 繁吉さん、久富繁雄さん達が初代。
 けれども是はまぁ神の機感にやや叶たのであろう、叶て行きよるのであろう。子供達が信心を熱心にする。親の信心は継いで行く。ね、堤清さん夫婦がそうであり、久富国雄さん達夫婦がそうなのであります。それで又んなら孫達もあぁしてまだ小さいけれども、親に連れのうてお参りをして来よる、ですからもう実際は親子三代そろうて信心をさせてもらいよる。だからそのまぁ一家中があげて信心をしておる。
 親子孫と信心に是からなって行くだろうと、まぁ見通しが付く様な感じがするんですけれども、その人間と達者と、身代がそれに伴のうて行かなければならない。初めて神の機感にかなうたと云う事になる。まぁそう云う意味で、私共も、おかげでどうやら、三代続いて、おかげを頂いて。まぁここで一番そういう意味でかのうたというなら、私の方じゃないだろうかとこう思う。しかも、親子、その孫というように、まぁ人間はともかくとして、段々それに向かって精進しておるというおかげで。
 年は八十八のお祝いをさせてもらうほどしの長生きのおかげを頂いて、現在夫婦とも達者で信心が出来ておる。私共夫婦もおかげを頂いて、皆さんのご存知の通りである。長男もおかげを頂いて、良い嫁を頂いて、是から私共信心を愈々、ましては受けぬけて行ってくれるであろうと。所謂いよいよ子孫繁盛家繁盛の基いと云う物が、出来てきた。これからいよいよ子孫も続き、身代もいよいよ出来て、年勝り代勝りのおかげの頂けて行く、云うならば土台が出来たと。
 それで、まぁ思うてみなければならんのですけれども、まぁ両親の人柄、私共。又は長男夫婦と、こうじっとこう思うてみますとですね。こう云うその大変なおかげを受けておると云う事は、何処にその、元があっただろうかと。やはり神の機感にかのうた生き方と云う物が、言える訳ですね。神の機感にかのうておっただろうと云う事が言えるわけです。そこでなら父と云う、私共の父と云う、まぁ人のまぁ人間性て云うか、あり方と云う物は、どう云う生き方をして来た人かとう云うと。
 まぁ云うなら大してそのそうですね、四十幾つぐらい迄ぐらい迄、会社勤めをしとります。母がほどんど、小さい商売をやらせて頂いて、まぁ云うなら私共の手足が伸びたと云う事ですけれども、ただし父のその取り得と云うのはどう云う事だろうかと云うと、何て云うでしょうかね、その人に嫌なその感情を与えないと云うでしょうかね。もう自分の人の悪かことはいえ、その、んなことやら言いやきらんと。もんな事やらも、母に言わせると云う様な風でした。
 まぁそう云うその生活と云う物をやっぱ私、私自身も受け継いで所謂それを、云うならばふうたらぬくい生き方とこう云う事になって来た。どうも私も父もそのふうたらぬくさと云うのが、まぁ心情であった。そのふうたらぬくさが、父の場合はいわば父の時代には 見栄 でなかった。そのふうたらぬくさを云うならばですね、まぁふうたらぬくさと云うと何と云うでしょうかね、そのいわばいやと言いきらんちゅう性分ですよね。
 人にいろいろものを、頼まれたりすると、それを実際自分に出来んでも、出来んと云うてポンと言いきらん。云うなら金を貸せてくれいや、その無かでんどうかしてわおられないと言った様なもの。もう有るどんするならば、もう本当に、言われりゃ言われたなり、心の中じゃ、是がないと困るという事を、思うておっても、そのいやと言いきらんと云う程しに、まぁふうたらぬくい訳ですね。そう云う様なものが、云うならば、心情であった様に思うのです。
 そすとなら母の方、又私の方の家内の場合は、又これも陰と陽と云う様な、暖かいと冷たいとの差はありますけれども、大体その辛抱強いと云う事において、感ずるですね。母はどっちかちゅうと、暖かい。もう暖かい人です。すと家内はどちらかと云うと、冷たい方の人です。こりゃ冷酷と言った様な意味じゃありませんけれどもね、その又暖かいと云うて、もうその温情溢れると云う意味じゃないですけれども、何とはなしに、所謂、まぁそう云ったら一応ですねー暖かいのと、冷たいのと。
 けれどもその、そこに流れておるものは、辛抱強いと云う事。是もう母の場合だって、家内の場合だって、もう本当に驚くばかりに辛抱強いです。父にしろ私にしろどちらかち云うなら、ふうたらぬくい。どちらででも本当にふうたらぬくい。ね、だからその心情と云う物が、是はなら例えば私共の長男夫婦が、まぁどんな風に現れて来るか、まだ、まぁ云うならば、海のものとも山のものとも分かりませんけれども、やっぱりそんな感じがする。まぁ勝彦の方は、何とはなしにやっぱりこうだらしが無い。
 云うならばもう片付け事でもなんかでも、もう使うたら使いっぱなしと云う。所がその嫁の良子さんが方なると、それをかつがつ片付けて行く。しかもこの辛抱強さと云うか、ん、そう云うのは、どうもやっぱり母、家内に似ておるのじゃないかとまぁ思われる。男の方はどっちかちゅうと、まぁふうたらぬくい。まぁ云うなら不精もん方なんです。そして。すと女の方はそれとは反対に、非常に辛抱強い生き方。それでですねそこからなら、何処が神の機感にかのうただろうかとこう思うんですけれどもね。
 結局私共男三代の方は、そのふうたらぬくさが神様の機感にかのうた様に思う。かのうておったのじゃないかと思われる。その半分である所の女達の方の場合は、兎に角辛抱強い。非常にそのなんと云うですかね、まぁいうならば、奉仕の精神。犠牲的精神。もう男の為に、もう本当に、完全に犠牲になって行くと云う様なタイプですね。母なんかの場合は、見とったらもうそれがとてもその現れております。
 云うなら母が父に尽くしておると云う、尽くしておると云う事においてはもう、本当にそげんせんでんよかろうと思うくらいに、まぁ尽くし抜いてきておりますね。家内私共の家内でもやっぱり、この人も大変、いわばその、あぁいう風に黙ってその、本当、悪う言うと、醜絶(しゅうぜつ)かち思われるくらいに、その辛抱強いて、性質ですね。所謂その、黙々方なんです。黙々として、その男につかえて来る、来たと云う訳ですね。現在もやっぱり同んなじです。
 云うなら陰の力と云うものが、合楽の場合私共大坪家の場合は、その陰の力と云う物が、そのある意味で素晴らしかった。昨日もあの親戚の従兄弟になる人が来て。従兄弟達の話をこう、色々しておりましたけれども、そのどれにも私共が似ていないという事。そしていわば大坪家なら大坪家の一つの型と言った様なものを作っておる。男はふうたらぬくい型。女は辛抱強い型という言った様な型が出来てきておる。どうも所謂三代もどうもそんな感じである。神の機感にかのうたと云うのがね。
 そう言う所が叶たのじゃなかろうかとこう私は思うです。昨日その従兄弟と話してからです、沢山従兄弟達がおりますから、一人ひとりの事を話させて、あのまぁ久しゅう会いませんし、まぁどげんしよるじゃろうかと云う話からでしたけれども、兎に角その私の方とは、そのある意味で似ても似つかない感じですね。どの親戚を見ましても。是だから神の機感にかなうと云う事がですね、何処がかなうかそりゃ分からんのですよ。けども大坪家の場合は、どうも、私共の男の側のふうたらぬくさ。
 云うなら嫌といいきらんと云う様な性分。女の方は、黙って黙々として辛抱し抜くと云う生き方。今までがぱっぱすると言う所がない。本当に何ちうかね。まぁ云うならそれの反対の始末倹約型。男はそれとは反対の方。いやでも何とは無しふうたらぬくい。だからその今日は辛抱強いとか、そのふうたらぬくさと云う物だけがです、信心を私は外しておったら、信心がなかったら、それがなら今日のようなおかげになっていなかった。それを信心によって、段々その磨かれて来た。
 信心によってその辛抱強さのと云うか辛抱強さの、その有り難さと云う物が信心によって出てきた。そのふうたらぬくさでも、信心による所のふうたらぬくさと云う物が、二代である所の私の時代になってもいよいよ。なるごとく神様が私に目をも仕付なさったと云うならです、此処に目を付けなさってであろうと思うくらいに感ずる。ふうたらぬくさと云う物が、信心になった時に。嫌と言いきらない性分が、神様のいわば目に止まったと云う事になる。今から考えましても、あの修行中の自分に、ね。
 神様あなたはそう仰るけれどもと云うて、私が理屈をいうとったら、今日の合楽は生まれていなかった。それこそなせんものでも嫌と言いきらん性分でそれを、やはりひた受けにとはいかんにしてもです、それを渋々でも受けぬいて来たということ。嫌と言いきらん性分が信心になった時に、そのふうたら、私はもう本当に自分でも若い時から思うた。自分のふうたらぬくさと云う物が改められない限り儲かりさえ出来んぞ、と云う風に思う時代もあった。けれども性分だから仕方がない。
 所がそれが信心になった場合には、それが神の機感にかのうたと云う事になった。是は皆さんの場合ねなら堤さんとか、久富さんあたりの例を、まぁ取りましたがです、んなら親先生ごとふうたらぬくうならにゃならんと云う事じゃあるけれども、神様が私達の此処を、云うならば愈々ほめて下さると言った様なものがです、感じられる所まで、信心によって、それが高度化して来なければならないと云う事。
 云うなら、ふうたらぬくさが信心によって、高度なものになって来た。高度化してきた。是はもう本当に自分ながら思うのにですけれどもね、もう是はまぁ私の場合なんかもう、本当にふうたらぬくいとですよ。もうこりゃもう子供の時からでした。そして自分のふうたらぬくさにですね、ひわいを感ずる。自分ちゃもうどうしてこげんふうたらぬくう出来ておるじゃろうかと思うて。まぁだ物心つかん子供ん時からそうした。もう本当に、言われりゃ言われるなぁりです。
 私は隣に叔父が、今田中の父親になります。まぁ大変私を可愛がってくれた、叔父で御座いますけれども、もう叔父の言いながらになるから私は可愛がられたんです。可愛がられなきゃおられなかったんだろうと思うです。どんな無理を言うでも、あぁ肩をたたけちいやもう、いわばもう良かぞと云うまで叩かせる。さぁ腰をもめっていや、もう眠ってしもうてから、それでも私が何時まででんあん、揉みよりますもんじゃから、私の婆が来てからもう揉ましたかちゅう。
 揉ますばっかりもうこんな子供に何時まんでん揉ませてからち、腹かくぐらいじゃったです。今の子供達はうってやうても、ちょいちょいうってからお金もろうたら、もう直ぐ止めるちいうでしょうが。所が私はそれをしきらなかったんです子供の時から。もうそして自分な悲しいんです。自分などうしてこげんふうたらぬくかじゃろうかと思うてから。知った人がこうやって来ると、もう大変お茶好きでしたからお茶飲みながら、私んこん総一郎はこりゃもう私が言う通りになるっちからそれが自慢じゃった。
 さぁそこに寝れち。寝るさぁ手を胸上上げろちゅうたらちゃんとする。ね、俺が良かちうまでは、そげんしとかにゃんぞちうちから、もうそう云う様にふうたらぬくかったです、私は子供ん時から。もう是だけは自分ながらね、本当にそのふうたら、その性情と云う物が、自分ながらはがゆかったり、悲しかったりしましたけれどもです、それが長ずるに従ってやっぱり同じ事。
 飲みにいってから、さぁ金払わにゃんちゅう時には、もうとにかく自分が一番目に払わにゃ気が済まん。済まんち云うごたるふうな。貸せちや貸さにゃおりきらん、そしてからあんた、もうこげなこっちゃ儲け出さんと思うて悲しい思いをせなきゃならん。ね。もうそんなにふうたらぬくかったんです。所がならならこと一度いよいよ信心に向かった時にもです、その自分私の欠点と思うておった、そのふうたらぬくさがね、今日の合楽があると云うても過言じゃないくらいです。
 私が、神様の仰る事にもう、例えば、もうそげな事と云う様な事にでも、ハイハイと言うて来たと云う事。だから、よい言葉で言うと、素直と云う事になった訳です。ね、そして、素直であれば、その素直な心一つで神様にもなれる。「素直心の一つにて、雲の上までも登る道あり」と云う様な御教えを頂く様になった。そこでなら、私共がです、ね、先日から、結婚式の時に私共、親子三人、三代が、のものがです、まぁ云うなら正装して、私共 三組 だけで、写真を撮らせて頂いた。ね。
 本当に、是だけでもおかげを受けておるなと思う。しかも健康。しかもおかげで何不自由する事のない、云うならば身代も段々身に付いて来ておる。もう何不自由する事の無い程しのおかげを受けておる。いや、どころではない、勿体無いh度しのおかげを頂いて来ておる。アルバムにお家柄とこう、あの嘉郎さんがあぁしてあった。お家柄と云う事は、あそこは家柄は良かけれども、貧乏し御座ると云う様な事ではもう家柄にはならん。家柄一筋と云うのは、ね、そう云う意味じゃない。
 お道で云う信心の家柄一筋となると云う事は、人間と身代と達者が、足ろうた時に家柄と云うのであるあそこは、ね、昔は侍さんであったとか。ね、昔はあそこはどうじゃったとそう意味じゃないです。家がお道で云う家柄一筋と云うのは、人間と身代と達者と神の機感にかのうたそれが家柄である。そう云う意味で私共は段々おかげを頂いた、それこそ嘉郎さんが写真のアルバムに書いておりますように、いわばお家柄とだから是はお家御と云う字はとってから、家柄一筋とこりゃしなおさにゃ。
 書き直さにゃいかんばいて私はまぁ申しました事でしたけれども、所謂家柄一筋となっておかげを頂いてきた。その家柄一筋のまぁ云うなら分析するならです、男の方の側は皆ふうたらぬくい性分であり、女の方はそれと反対じゃないですけれども、非常に辛抱強いと云う、それが取柄。ね、そして私の時代になってですそのふうたらぬくさは、もう頂点に達する程しに、ふうたらぬくいいわば二代が生まれた出来た訳です。ならその二代がおかげを頂いて信心をさえて頂いておったおかげでです、ね。
 神様の仰る事ならば、それを、右と仰りゃ右。左と仰りゃ左。それは云うならば、それこそ泣く泣くでも、神様の仰せ通りに仕って来たと云う事になった。信心によって愈々自分の欠点と思うておった事は、最高の長所である事に磨きだされて来た。信心によってそれが値打ちを発揮して来た。値打ちの無いはずのものが、云うならばつまらない物。こげなこっちゃ、もし信心が無かったなら、こげなこっちゃ一生お立ち上がらん、もうけさせきらんと云う、その性根性分がです。
 信心の方にそれが向けられた場合に、それが私の最高の特徴と云う事になって来た。神の心に適うたと云うならば、その私共の心の、云うならば、ふうたらぬくさと云うか、良う云うなら、その素直さと云うか。そう云う様なものがです、神の機感に適うておったであろうと。女の方の側は、兎に角辛抱し抜いた。しかもそれに信心が付いて、信心辛抱と云う事になって来た。信心辛抱する、良く言えば信心辛抱と素直さが一つになって、しかも三代続いた所にです。
 是からいよいよ家繁盛子孫繁盛のいよいよおかげを頂いて、代勝りのおかげを頂いて行かなければならない。もし基礎と云うならば、元と云うなら、ただ今申しました様な事である。あの人は仏様のような人じゃ、神様のような人じゃ、人が正直者じゃと云うてもです、ね、代々良くない事が起こったり、難儀な事が起こって来ると、世間ではどうした事であろうかと言おうがと。
 だからそれだけでは、いけなかった、事になる訳です。私共がどんなにふうたらぬくかっても、辛抱強かっても、それだけではいけん。ね、信心しておかげを受けるのは別じゃとこう仰っておる。しかも信心しておかげを受けた、その上に、神の機感にかなう何物かを持っておった。それを大坪家の場合は、ふうたらぬくさと辛抱さとこう申しました。もう醜熱なまでの辛抱強さと、云うならよう言うと奉仕の精神であったり、ね、いわゆる信心辛抱であったり。
 良う云うならば、そのふうたらぬくさが、素直さと言う風に認められて来る様になって来た。人からよし笑われても、神様から笑われちゃならんと言った様なものなって来た。神様の仰せ通りに仕る場合、人からは、ね、云うならば笑われるう様な事もある。けれども、人から笑われても、神様から笑われちゃならんと云う様な、こりゃもう一つの確固たる、ね、そのそう云う信念、それも生まれて来たと云う事になる。しかも、それが三代続いて。しかもその神の機感に適うたと云うのがです。
 その例えば是が私の時代、私の二代の時代になってです、そのふうたらぬくさと云うのがどう云う事になって来たかと云うとです、ね、成り行きを大切にさせて頂くと云う様な、いわゆる合楽の信心の神髄と思われる様な所にまで、高度化されて来た訳です。難儀の中にどう云う事があっても嫌と言いきらん性分がです、嫌と言いきらんだけじゃない。それを神意だ、神愛だと分からせて頂く様になったら、それを合掌して受けれる。元気な心で受けて行くと云う、信心がそこに出来あがって来た訳です。
 合楽で現在なら御事柄と云う様に、言われております信心もです、云うならば私のふうたらぬくさから生まれた信心です。神様から事柄をです、嫌と言いきらんなりで、泣く泣く辛抱しながら、受けておったものがです、ね、所謂成り行きを大切にすると云う事は、そのまま神様の御心をたいして行く事だ。神様の心をひた受けに受ける生き方こそが、成り行きを大切にする事だと云う事に、段々分かって来た。しかもその成り行き、そのものが神様が私に求めたもう修行であったり、ね。
 神様がおかげ下さろうとする働きがそう云う事になって来るのであるから、それを神愛だとまで私は極言する様に段々なって来た。そして世の中には難儀と云う物は無いのだと。有るものは神の愛だけだと言う所まで高度化されて来た。ね、泣く泣く行きよるのじゃない。辛抱しながら受けるのじゃない。もうその事自体が神愛だと受けれる。と云う事に迄になって来た。其処でその事をですいわば御頃柄として、御の字を付けて頂くと云う様なまぁいわばふうたらぬくさがその様に、高度な信心になって来た。
 私の例えばふうたらぬくさがです、成り行きを大切にして行くとった、御事柄として受けて行く言ったと言った様な事がです、そのふうたらぬくさがもう愈々光り輝くおかげに是からでもなって行く事であろうと、見通しが付く程しになって来た。確信を持ってこれを人に伝えられる所迄なって来た。そこで私は此処で言えれる事は、神の機感に適うと云う事はです、それはなら三代経ってみなければ分からんじゃないか、と言う所ですけれどもいや私初代のなら例えばね、久富さんであり堤さんの場合は。
 初代の私がです、成程子共も信心しよる、孫も信心しよるけれども、果たして人間と身代と達者が、足ろうかどうかは分からん。けども此の生き方で行きゃ大丈夫と、まぁ確信が持てる事はです、是程に成り行きを私が大切にして行きよるから、是程に、全ての事を御事柄として受けて行きよるから、ね、この信心が続いてさえ行けば、家柄一筋になるんだ。子供にも孫にも是ならば伝わって行くんだと云う、是は初代でもいわば見通しが出来ると云うのが、私が合楽で頂いておる信心。
 いわゆる成り行きを尊ぶとか大切にすると云う生き方こそがね、この生き方を私共が体得さえして行けばです、是を子に孫に伝えて行くならば、是は必ず、ね、神の機感にな適うと云う事が言えれる訳です。他にもありましょう。神の機感にかなうと云う事は。けれども、是だけは間違いないと云えれる事は、その事なんです。ね、だからいよいよ持ってです、神の機感に適うと云う事は、神様の御働きそのものをです、ね、有り難くひた受けに受けさせて頂こうする姿勢。
 そう云う姿勢がです、ね、初代である、例えば皆さんの場合です。ね、それが一つ出来て行く。其の事のいわば完璧を願って、お互い信心させて頂くならばです。いわゆる神の機感に適うと云う事になる。神の機感に適うと云う事はどう云う事であろうかと。神の機感に適うと云う事は、ただ今私が申しました。ただそれを、私の場合は、ね、三代の御徳のふうたらぬくさと女の辛抱強さを申しましたが、ね、ならそれだけで神の機感に適うのじゃない。
 それを信心によって、磨かれた時に、信心辛抱になり、それがね信心によって、それがなされる時に雲の上までも昇る道が付いて来る程の、いわばもうふうたらぬくさなろうという言葉でじゃない。素直なのを順水な素直心と云う事なって来る。それが神の機感に適うんだ。どうぞ折角信心をさせて頂くので御座いますから、ね、神の機感に適う、一つ信心をさせて頂かにゃいけません。
 只おかげだけならです、昨日もある方と話た事でしたけれども、ある所の記念祭であった。もう女の先生方の例を云う、まぁ聞きながら私、まぁちょねんばなし で話た事でしたけれども、あの先生にしたら、この先生女でそれこそ後家で、何十年間教会を維持して見えて、大変などの人もしっかり根性もんじゃと。けども是はもう本当に根性でやはり貫かれたから、あぁ云う人が助かる程しの御比礼がたったが。けれどもどの先生を見ても、限りなく美しゅうなろうなんて事、いっちょん思い御座らん先生ばっかり。
 ただ、がむしゃらにです、神様を信ずる力が出来て来られた。がむしゃらな信心をして見えた。是はね、そう云うがむしゃらな信心する。神様を信ずる力が生まれて来るから、それ一代はおかげ頂くでしょう。例えばがむしゃらに修行でもして、お願をすれば。けれどもその三人の先生方の礼を、私はひいて申しましたが、どの先生だって、跡取りが居ないとじゃけん。ね。
 一人は、一軒は養子をされたけれど、昨日話した中の二人の先生はまだ、もうそれこそ、大変もう年をとっておられますけれども、まだ跡取りすら決まってないと云う、いわばおかげは受けてある。けれども果たして二代に三代に、家柄一筋になって伝わるだろうかと、まぁ思われる様な状態。それでまぁその笑い話で申しました事でしたけれども、どの先生でんただがむしゃらにお願いして来なさったばってん。
 いっちょ限りなく美しゅうなろうちゅうごたる所には、いっちょん精進して御座らんと云うてから、まぁ話した事でしたけれどもね。それでもなら、おかげは受けてもです、神の機感に適うて、人柄一筋となってと云う様な事にはならないと云う。だからおかげを受けとるから良いと云う事じゃないです。例えば本気で限りなく美しゅうならせて頂こうと言った様な、その生き方が、信心はもう改まる事意外にない。
 磨く事意外に無いと云う様な、それを根本にしてからの云うならば、私の場合はふうたらぬくさであったと云う事。ね。それでなら此処で言える事は、まだ例えばなら繁雄さんとか、堤さんあたりの場合は、まだ初代であるけれども、子が孫が信心なしよるけれども、まだ海のもんとも山とも分からん。けれども、その初代の、その人がです、ただ一生懸命にお参りをしておかげを頂いて。
 子供達が付いて行きよると云う様なもんであったんでは、ほんなこっちゃない。ね。神の機感にかなう信心させて頂いての、縁でなからにゃならん。そこで其処ん所、自分達の信心が間違ってるかいないか。いや二代に三代に愈々代勝りのおかげの頂けれる基礎を造くって行っているかどうかと云う事を確かめる事をです、いわゆる御事柄で受けぬかせて頂けて行く、行く信心。
 成り行きを尊ばせてもらう、大切にさせてもらう信心が、身に付いて息よるかどうかと云う事をです、思うてみると、答えがそこに出て来る訳であります。神の機感に叶と云う事は、今日私が申しました。他にもありましょうけれども此の事、是ならば絶対神の機感に適うと云う事をです。まぁ私の方の、大坪の家の、人間の性格て云うかね、性情と云うか。そう云う様なものから、今日は聞いて頂いた訳です。
 そして、自信を持って、確信を持って言えれる事はです、是ならば絶対神の機感に叶うた信心だと、私は申し上げる事が出来ると思うので御座います。どうぞ、せっかくさせて頂くのですから、ただ願った拝んだと云う事でおかげを頂くと云う信心から、神の機感に叶うた信心をさせて頂いて、人間と身代と達者が足ろうて行く様なおかげを頂きたいもんですね。
   どうぞ。